水曜日, 7月 31, 2013

ひまわりガーデン武蔵村山

 27日に開園したばかりの「ひまわりガーデン武蔵村山」まで走ってきました。
 当初は今日行くはずだったのですが、所用ができて予定変更。来週行こうかとも思ったのですが、昨日がんばって、夜勤明けの眠たい目をこすりながら行ってきました。
 子供の背丈ほどのハイブリッドサンフラワーと八重咲きのサンゴールドが、西武ドーム2つ分(約3.7ha)の敷地に満開です。今まで見上げるような大きなヒマワリばかり見ていたのでちょっと意外でしたが、普通に目の高さで見られるのは良いですね。
 8月中旬までオープンしていると言うことでしたが、すでにピークは過ぎていて、たくさんの種をつけてうつむきがちな花が目立ちます。無理をして正解でした。
 お急ぎください。

日曜日, 7月 21, 2013

ツール・ド・東北 参加できず

 先日申し込んだツール・ド・東北の受付抽選がありました。
 定員をはるかに上回る応募があり、当選倍率は6.5倍だったそうです。
 見事にはずれました。
 昨日(20日)14時からの一般申込みは先着順だったので一瞬にして受付終了。残念ながら、イベント参加は夢に終わってしまいました。

 なかなか武蔵野・多摩からでられません。

土曜日, 7月 13, 2013

涼しい滝への暑苦しいアプローチ

 東京は連日の猛暑日が続いていますね。今日は曇り空で日射しの厳しさは軽減されていますが、むぉっと熱い布団を押しつけられているようなイヤな感じはあいかわらずです。
 こんな日は先日のように滝に行って涼みたいのですが、そこへ行くまでの道のりで熱射病にかかってしまいそうで、出かける勇気が湧きません。
 悶々と過ごす休日になりました。
 さて、写真は、千ガ沢の松尾の滝への入口です。写真上面が林道で、枝沢が千ガ沢に流れ込んでいます。写真奥側から枝沢に下り(落ち?)立ち、この通水管を抜けて今にも折れそうな(というか折れています)ハシゴを伝って沢に降ります。
 写真下方に見えているとおり、沢は草木に覆われていて、足もとも見えないようなヤブを棘のある草やクモの巣と戦いながら行く道は結構しんどかったです。
 これでしょうもないヘボ滝だったらどうしてくれよう、と思いながら辿り着いた松尾の滝は、真っ黒な岩に真っ白な水飛沫が映えるきれいな滝でしたよ。
 良い景色、涼しい思いは簡単には手に入らない、という教訓めいたお話になってしまいました(苦笑)。

水曜日, 7月 10, 2013

千ガ沢 松尾の滝

 昨日行ってきた千ガ沢の松尾の滝です。
 出勤時間が近いので詳しい記事はまた後で。
 立派な滝なのですが、アプローチは最悪でした。
 良く言えば、アドベンチャーに満ちていた、とも言えますけどね。
 なんでこんなとこに来たんだろう、と思いましたが、改めて記録を見るとなんだかんだで滝前には1時間弱滞在していました。
 やっぱりそれなりの価値はある滝だったということですね。

火曜日, 7月 09, 2013

水陸両用シューズ

 梅雨が明けて、ドカンと暑くなりました。
 山に行くしかありません。
 滝を見に行って涼みましょう。
 とは言え、そこに辿り着くまでが決死の覚悟です。熱中症ギリギリの状態で多摩サイを走り、睦橋通りを通って五日市を過ぎ盆堀林道へ。去年のリベンジで千ガ沢の松尾の滝を見てきました。
 今回の強力な助っ人は、New BalanceのSM729。なんと水陸両用です。これで岩があろうが砂利が足裏の痛いツボに当たろうが、気にせずにジャブジャブと沢に入れます。
 もちろん沢登専用シューズではないので、足もとに注意は必要ですが、快適でしたよ。
 夏の沢歩き。やみつきになりそうです。

火曜日, 7月 02, 2013

江戸近郊道しるべ (村尾嘉陵著)

 たまたま本屋で見つけた「江戸近郊道しるべ」(講談社学術文庫)という本を読んでいます。村尾嘉陵という武士が江戸近郊を歩いて回った見聞記で、お散歩BLOGの江戸時代版という感じ。日本橋浜町にある自宅を起点に、東西南北日帰りで行ける範囲をほとんど歩き尽くしています。
 その中で、面白い記事を見つけました。

 先日バラを見に行った国府台公園にある明戸古墳には、国府台合戦で戦死した武将・里見弘次の墓とされる石棺がありました。また、里見弘次の娘の悲しみが乗り移ったとされる夜泣き石もあったのですが、現地の解説ではどちらも史実とは異なる伝説だとしていました。
 村尾嘉陵も国府台城趾を訪ねて石棺と夜啼き石(本書では啼の字を使用)を見ています。そして、石棺には日本武尊が置いた槨という説があるが、そんなに古いものではないだろう、夜啼き石については鬼哭を聞いた僧が掘り出して享保2年(1717)に供養したものらしい、と書いています。彼が訪れたのは、文化4年(1807)でした。
 今でも月のない雨の夜には合戦の声が聞こえることがある、と書いていますが、夜啼き石や石棺と里見氏の関連については特に言及していません。

 里見の名を一躍有名にした南総里見八犬伝の最初の話が刊行されたのは文化11年(1814年)でした(天保13年(1842年)完結)。里見軍戦死者の亡霊を供養する「里見諸士群亡塚」「里見諸将霊墓」が建てられたのが、文政12年(1829)。「江戸名所図会」が明戸古墳を紹介して「里見弘次の墓という説は誤り」と書いたのは天保7年(1836)です。
 断定はできませんが、里見伝説の背景が見えてくるような気がします。

 なるほど、古文書から歴史をひもとくとはこういう事なんだな、と学者になったような気分を味わった体験でした。

月曜日, 7月 01, 2013

年間走行記録

 サイクルコンピュータを買ってから、ちょうど1年が経ちました。
 買った当初は、最初の一ヶ月に走った583kmを12倍して「年間7,000km達成か?」なんて意気込んでいましたが、結果は

 総走行距離 5,448km
  (内訳)
  通勤 103.5往復 3,119km
  ポタリング 42回 2,329km

 月間平均450kmぐらいかな。1日の最高記録は奥多摩湖往復の131.5km、100km越えは5回でした。
 多摩サイのほぼ中間点にあるわが家から羽村、または羽田まで往復すると50~60kmぐらいなので、おおよそ100往復相当ということになります。つまり週二ペースで多摩サイをどちらかの端まで往復している計算です。そう思うとずいぶん走ってますね。

 6割弱が通勤でした。最近、あまりポタリングに出ていない気がしていたのですが、ほとんど、チャリ通でエネルギーを使い果たしていたわけですね(笑)。 できればもう少し遊びの比率を上げたいのですが、これ以上走るのはしんどいかな。